天台宗の学匠で玄妙能化の人といわれ、38才で比叡山3千の学僧の学頭となり、後に日蓮聖人の教風にうたれて67才の高齢で日蓮門下に入り、当寺門下筆頭の碩学とうたわれた玄妙阿闍梨日什大正師(1392年寂・顕本法華宗開祖)の開基により、明徳2年(1391年)足利義満の時代に今の麹町9丁目(字金澤)に創建された。明暦3年(1657年、俗に振袖火事といわれる明暦大火の年)に現在地の旧四谷南寺町に移転した。 正妙山と号し、現在は日蓮宗系単位寺院であるが、元は顕本法華宗一乗派に属し、京都二条妙満寺(日什大正師開山、現在は京都岩倉)の直系未寺であった。幕府の御朱印寺でもあって、江戸時代の檀家は幕臣に限られ、千葉土気城主酒井家、上総介千葉家、幕医高嶋家、旗本の三浦・跡部・西尾各家の菩提寺として、また通称『萩寺』として格式を誇った。