| 寺院墓地検索トップへ |
| 寺院名 |
寿徳寺(ジュトクジ) |
 |
| 所在地 |
東京都北区滝野川4-22-2 |
施
設 |
駐車場 |
| 宗
派 |
真言宗豊山派 |
| 交 通 |
JR埼京線『板橋駅』、地下鉄三田線『新板橋駅』、『西巣鴨駅』、JR京浜東北線『王子』駅より徒歩15分以内
地図をご覧になりたい方は→ |
| 特 徴 |
板橋駅前の新撰組局長「近藤勇の墓」は寿徳寺の境外墓地である。命日の4月25日または直前の日曜日に、墓前供養を毎年行い多くの参拝者が集まる。 |
| 価 格 |
区画の大きさ 2尺×2尺(60cm×60cm)
完成墓地価格 \1,850,000〜
(永代使用料・石碑・工事一式・税込)※すべて含む |
| 縁 起 |
| 寿永年間(1182〜85)梶原氏の家臣であった早船氏と小宮氏が主君の梶原氏と不和になって落ちのびた折、海中より観世音菩薩を一体拾いあげた。逃げる途中、現在地附近に来て、その菩薩像を現在地の前を流れる石神井川際の堂山に小堂を作って安置したが、それが当山創設の濫觴であるといわれている。しかし、『滝野川町誌』732頁(昭和8年発行)には、「本尊は聖観音なるも作者不明なり、当寺は建保2年(1214)6月中相模国鎌倉の梶原より当時八頭村と呼びし当地へ移建せるものとなりと伝ふる」と紹介されており、更に続けて「天明年間(1781〜89)領主と当時の住持柳能との間に争いを生じ其後天保年間(1830〜44)再び領主と住僧間に訴訟を生じ公儀を煩したることありし故当時内に在りし遺物、文献多く所在不明となりし為開基開山其他の詳細不明となり」と記されている。いずれにしても鎌倉時代初頭前後より観音信仰を軸に寺歴が始まるといえよう。また、西国三十三ヶ所の岩間寺のうつしとして、第十二番の札所に指定されており、今も時として巡礼者の参詣がある。『新編武蔵風土記稿』に寿福寺と記されているが、何かの誤りであろう。大正2年(1913)、先々代住職の宮木宥弌師が本堂と庫裡を改修された。師は漆塗りの技術を生かし、本堂内部を荘厳したことで有名だが、第二次世界大戦で全焼した。戦後、いち早く本堂が、そして次に庫裡が檀信徒の協力で再建された。昭和27年(1952)8月、先代住職の新井正誉師が宗派より後任住職に命ぜられ、翌年1月10日、宮木師が遷化された。本堂が次第に手狭となり、昭和41年(1966)5月8日に鉄筋高床式の新本堂を落成すると共に、境内を整備し現在に至る。板橋駅前の近藤勇の墓は当山の境外墓地である。当山現住は新井慧誉師。 |
|
|
|
近藤勇・土方歳三の墓
|
永倉新八の墓
|
|
|
|